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帰りの電車に揺られながら・・・
和志は不安だった。
本当に汀は来ているのだろうか・・・
それとも・・・
汀を失う怖さを、身をもって知らされた和志は、
愛しい人の顔を見るまで、ひと時も安心する事が出来なかった。
もうすぐ・・・
もうすぐだ・・・
窓の外を流れる暗い町並み・・・
やがて電車は速度を落とし、駅へと滑り込む。
まだ完全に止まっていないのに、和志の視線は、汀を捜してホームを彷徨う。
汀・・・どこだ・・・
祈るような気持ちで・・・捜す・・・
一秒でも早く顔が見たい・・・
込み上げる愛しさ・・・
そして焦り・・・
不安・・・
扉が開くのももどかしく、和志はホームに飛び出していた。
三番線のホームに・・・
電車の到着を告げるチャイムが流れてくる。
家路へと急ぐ人の流れの中で、一人ベンチに座っている汀。
待ち人は、この電車で来るだろう。
この10日ほどの出来事を、順を追って思い出してみる。
僕のした事は、紛れも無い裏切り行為だった・・・
もう・・・取り返しのつかない事なのかもしれない。
それなのに僕は・・・
また和志の元に戻ろうとしている。
どうしようもない不安に駆られる心・・・
いったい和志は何と言うだろう・・・
あまりに身勝手なこの僕を・・・
和志は受け入れてくれるのだろうか・・・
寒さと不安に震える汀。
小柄なその身を、いっそう小さく屈めながら、凍えた両手を白い息で暖める・・・
それは、あたかも、何かに祈る姿のようであった・・・
電車から溢れ出た乗客達が、いっせいに改札に向って流れだしても、
汀は不安と罪悪感で、どうしても顔を上げられなかった。
身を小さく屈めたまま、冷たいコンクリートの床だけを見ていた。
「・・・汀・・・」
あの人の声・・・
初めに見えたのは、あの人の足元だった。
(・・・和志・・・)
汀の声は・・・声にならず・・・
うつむいた顔を上げる事さえ出来ず・・・
やがて・・・
震える汀の肩に、和志の大きな手が、そっと乗せられる。
和志の手から・・・
温もりが・・・
優しさが流れ込む・・・
今度こそ・・・しっかりと顔を上げる・・・
あの人の顔が・・・目に飛び込んで来る。
和志は、顔をほころばせ・・・微笑んでいた・・・
「和志ぃ・・・」
「汀・・・」
気が付いたら飛び込んでいた・・・
和志の胸に・・・
そして・・・
きつく・・・きつく・・・
苦しいほどに、抱き締められる・・・
他にはもう・・・
何もいらない・・・
そう思えるほどに・・・
和志にしても想いは同じだった。
この温もりが・・・
この腕の中の汀が・・・
本物である事を確かめるように・・・
きつく・・・
きつく抱き締めた・・・
流れ行く人々は、駅のホームで抱き合う二人に、好奇の視線を投げ付けてゆく。
「和志ぃ・・・人が見てるよぉ・・・」
「いいんだ・・・」
恥ずかしくて堪らない汀は、少しだけでも体を離そうともがくが、
固く抱き締めた和志の腕は、それを許そうとはしない。
「く・・・苦しいよ・・・和志・・・」
そんな汀の声を・・・和志は無視する。
離したくない・・・
もしこの腕を緩めたら・・・
また・・・何処かへ行ってしまいそうで・・・
嫌だ・・・
二度と離すもんか・・・
汀・・・
和志は、汀の柔らかい髪に、頬擦りするように顔をうずめる。
汀の頬に、和志の「濡れた頬」が触れる・・・
涙?・・・
和志・・・泣いてるの?・・・
気が付けば、和志の身体は小刻みに震えていた。
ああ・・・和志・・・
僕は・・・こんなにも・・・愛されている・・・
ありがとう・・・
でも・・・
ごめんなさい・・・
僕はまだ・・・あなたに言わなくてはいけない事がある・・・
「和志・・・僕・・・」
自分の犯した罪を告げようと、汀が重い口を開く。
だが、和志はそんな汀の想いを読み取ったかのように、優しく汀に告げる。
「もう・・・いいんだ・・・こうして、汀が戻ってきてくれただけで・・・俺はいいんだ。」
和志は・・・
それだけを言うと・・・
汀の唇を封じた・・・己の唇で・・・
和志の予想外の行動に、一瞬、宙をさまよう汀の腕・・・
それも・・・やがて・・・
再び和志の背中に回される。
強く・・・
出来るだけ強く・・・
感じたい・・・和志を・・・
抱擁し、長い口付けを交わす二人を、人々は興味深げに覗き込み、通り過ぎる。
ニヤニヤ笑う者。
首をかしげる者。
不快感をあらわにする者。
まったく・・・近頃の若い者は・・・
ホテルでも行けよ、バ~カ・・・
男同士じゃないの?・・・
誰も口には出さないものの、人々の表情が厳しいのは当たり前かもしれない。
しかし当の二人は、もはや人の視線など忘れていた。
今・・・
この刻・・・この瞬間・・・
二人にとって、互いの存在そのものが・・・全てだったから・・・
やがて、そんな二人が目に余ったのか、一人の駅員が近づいてくる。
「こらこら、君達・・・困るんだよ・・・こんな所で・・・」
その声に、我に返った二人は、照れ臭そうに謝った。
「すいません・・・」
「まったく・・・人の迷惑ってモノを考えて・・・」
駅員は、大げさな身振り手振りで、社会の常識について、講釈をのたまい始める。
「汀・・・逃げるぞ・・・」
「こら・・・待ちなさいっ・・・」
二人は、まだ何か言おうとする駅員に背を向け、一目散に走り出す。
汀の手は・・・和志の手にしっかりと握られ・・・
いつしか二人の顔には、笑いがこぼれていた。
改札を駆け抜け・・・
振り返る人達をすり抜け・・・
駅のそばにある、小さな公園に駆け込んだ二人。
「ハッハッハッ!・・・あの駅員の顔っ!・・・」
笑いが止まらない和志。
「僕達って、恥ずかしいよねえ。」
汀も、照れたように笑いながらつぶやく。
「ほんとに・・・自分でもまさか、駅でラブシーンを演じるとは・・・思ってなかったよ・・・」
息を弾ませ、笑いをかみ殺そうとしている和志。
「恥ずかしい思いをさせて・・・悪かったな、汀・・・」
「ううん、僕、嬉しかった。和志に抱きしめられて・・・本当に、嬉しかった。」
やがて、二人の息も整い、小さな公園を静寂が包み始めた頃・・・
和志の顔からは笑みが消え・・・
汀を見つめるその眼差しは、真剣なものになっていた。
「汀・・・帰って来てくれて・・・ありがとう・・・
俺は自分に誓うよ・・・もう・・・二度と離さない・・・」
チクリ・・・
汀の心が・・・痛む・・・
やはり、黙っている訳にはいかない。
自分の罪を懺悔しなくては・・・良心の呵責に耐えられない。
和志は、僕を愛してくれている。
とても、深く愛してくれている。
だからこそ、言わなきゃいけないんだ。
僕が、和志を裏切ってしまったことを・・・
約束をしていた日に、僕が何をしていたかを・・・
もし・・・全てを話して・・・
それで和志が許してくれなかったなら・・・仕方がない。
悪いのは全て・・・僕なんだから・・・
「和志・・・やっぱり・・・どうしても話しておかなくちゃいけないことがある。」
汀の強い決意を込めた声に、和志は黙って頷くのだった。
公園のベンチに座る二人・・・
街灯の薄暗い輪の中で・・・
汀は、全てを打ち明けた。
そして、神妙な顔で和志の言葉を待った。
もしかしたら・・・
罵倒されるかもしれない。
話し終えた今では、それも仕方ないとさえ思える。
だって・・・それだけの裏切り行為をしたのだから・・・
それよりも、今、この沈黙が怖かった。
何でもいい・・・
何か言って欲しい・・・
和志・・・
断罪される罪びとのように、
じっとうつむいて、ただ言葉を待つ。
永遠とも思える程の長い沈黙が続く。
しかし、とても顔をあげる勇気など、この時の汀には無かった。
汀の話を、黙って最後まで聞いていた和志。
胸が苦しい・・・
何か・・・大きな塊が・・・胸に詰まっている。
それは・・・
込み上げる怒りだった。
溢れ出る悲しみだった。
ここに・・・
激情に支配されそうな自分が居る。
コントロールを失いそうな自分が居る。
しかし・・・
それらを、全て抑え込む。
胸の塊を、無理矢理に呑み込む。
そして・・・
どうにか、それに成功した時、
俺は・・・うつむき震えている汀をそっと抱きしめた。
許されたと分かったのだろう・・・
汀は、俺の腕の中で、声を上げて泣きじゃくっている。
しかし、さっきと違い・・・
今度は俺の目に涙は無い。
あるのは・・・
あらゆる感情・・・
激しい思い・・・
怒り・・・
憎しみ・・・
哀しみ・・・
しかし・・・
それらを押さえ込めるだけの、喜びがあるから・・・俺は耐えられる。
何よりも大きい・・・汀が戻って来たという・・・
喜びがあるから・・・
「もう泣くな・・・俺は別に・・・汀のした事を責めるつもりはない・・・」
「こんな僕に・・・愛想が尽きたでしょ・・・和志・・・」
「いいや・・・俺は・・・自分の力不足を悔やんでいるんだ・・・
そもそも・・・汀には、他に好きなヤツが居るって・・・
それを分かってて・・・俺達は付き合いだしたんだ・・・」
「・・・・」
「だから・・・こんな事になっちまったのは・・・
この三年で、お前の中からヤツを追い出せなかった・・・俺の責任だ。」
「でも・・・でも・・・」
汀の瞳からは、とめどなく涙があふれて来る。
汀には、分かっているのだ。
そんな簡単に、自分の罪が許されるべきではないと。
「それよりも・・・俺にはどうしても理解出来ないんだ・・・
そいつだって・・・一度は、汀を愛したはずなのに・・・
どうして・・・そんな酷い事が出来たんだろう、って・・・」
「・・・・」
「その事を思うと・・・俺は悔しい・・・悲しい・・・」
汀は、泣きながら思う。
和志は、何処までも優しい・・・
そんなあなたに、成久の考えなんて、解るはずも無い。
僕を慰めるように・・・
そっと背中を撫でてくれる・・・
優しく髪をすいてくれる・・・
あなたには、その指の先まで・・・全てに・・・
深い愛情が・・・優しさがあふれている・・・
だから僕は・・・
こんなに泣けてしまう。
申し訳なくて・・・
情けなくて・・・
「だからもう泣くなって・・・今度こそ俺が忘れさせてやるよ・・・汀・・・」
「和志ぃ・・・うぅ・・・」
「俺はもう大丈夫だから・・・お前もそんなヤツの事は忘れるんだ・・・」
和志は精一杯の笑顔を作って見せると、汀の身体を引寄せる。
街灯の下・・・
冷たい風に晒されながら・・・
暫しの間、見詰め合う二人。
「愛している・・・汀・・・絶対に幸せにしてみせる・・・」
二人の唇が重なり、一つになるシルエット。
汀は・・・泣いた。
声を上げて泣いた。
和志の胸にすがり付いて泣いた。
ちょうどその頃・・・
加賀見のマンションでは・・・
藤堂と汀が出て行ったあと、加賀見はテーブルの上に置かれていた、大きな茶封筒を手に取っていた。
それはついさっき、加賀見が藤堂から渡された物だった。
封を切り、中から20ページ程度の綺麗に綴じられたファイルを取り出す加賀見。
その表紙の中央には・・・
『染谷 汀に関する特別調査報告書 Vol、②』
と書かれており・・・更に・・・
《1.岡本成久に対する身辺調査について》
《2.染谷汀と岡本成久の関係調査について》
と、目次のような事が記載されている。
そして、その一番下の方には・・・
双龍会の「代紋」と共に「関東双龍会対外調査室」と印刷された小さい文字列があった。
関東双龍会対外調査室・・・
堅苦しい名称が付けられているが、簡単に言ってしまえば、
双龍会の外部のあらゆる事に対しての「諜報活動」をする組織だ。
反対に「関東双龍会内部調査室」という組織もあり、
これは加賀見組を含む、双龍会の全ての構成組織を対象にした「内部調査」を担当する組織である。
この二つの組織の所属は、一応「双龍会」になってはいるが、
実質的には、加賀見嘉行の息がかかった人間のみで構成された、加賀見「直属」のスパイ組織といえた。
この二つ以外にも・・・
実態は全く明らかにされていないが、非合法活動を中心に、
あらゆる謀略、謀殺を担当する「黒龍隊」という特殊部隊を加賀見は持っているという。
いわゆる「鉄砲玉」と呼ばれる者が、おおっぴらに敵対する人間を襲撃し、
そのまま警察に自首するという・・・
そんな、おおらかな時代は昔の事で「暴力団対策基本法」が施行されたあと、
そういう「仕事」はますます地下に潜る事となっていた。
証拠を全く残さずに、絶対誰がやったのか判らないように謀殺する・・・
場合によっては、自殺や、事故に見せかける事さえある・・・
それが「黒龍隊」の仕事・・・存在意義であった。
いわば、暗殺専門・・・
加賀見直属の「闇の部隊」・・・
その存在は徹底的に秘密にされ・・・
双龍会内部でも密かに噂があるだけで、実際に見た者はほとんど居なかった。
そう・・・
加賀見の力は、決して資金力だけでは無いのだ。
その秘密は、正確な情報網と、決断した時の行動力だった。
そして、それらはすべて、加賀見の為なら、命さえ投げ出そうという人間達の力でもあった。
今回、加賀見は、そんな組織の力を使って、汀の事を調べさせていた。
もちろん汀は、そんな事を知るはずも無い。
その事に対しての罪悪感など、加賀見には無かった。
自分の気まぐれとはいえ、厳重なセキュリティを誇る自宅に、見ず知らずの人間を滞在させたのだ。
その素性や、背後関係を調べるのに躊躇いなどあるはずもない。
ソファにゆったりと身を沈め、手にした報告書に目を通す加賀見。
表紙に「Vol、②」とあるように、それは二度目の報告書だった。
一度目は、汀本人に関するモノだったが、今度のは、ほとんどが成久に関しての情報だ。
そこには、成久の現在に至るまでの人生が、事細かく記されていた。
汀との関係だけでなく、他の女性との関係や、家族関係・・・
三年前の汀との別れ・・・
良家の娘との結婚・・・
そして、父親の失脚と・・・
目を覆うばかりの最近の凋落ぶり・・・
挫折を知らなかった彼は、自暴自棄になっているのだろう。
無理矢理に汀を襲ったのも、そのせいなのかもしれない。
いずれにしても、何を仕出かすのか分からない、危険な状態なのは容易に想像が付いた。
そして、ページをめくる加賀見の目が、ある部分で止まった。
成久は・・・私立探偵を雇って、汀の事を調べていたらしい・・・
ということは当然、汀が今、何処に住み、誰と一緒に暮らしているか知っているはず・・・
そして、最後の一行も、加賀見にとって気になるものだった。
《成久は、ここ10日ばかり自宅に帰っておらず、現在の所在は不明。》
「ただ今帰りました。」
ちょうど一通りファイルに目を通した所で、藤堂が戻ってきた。
「ご苦労・・・ちゃんと家まで送ったんだろうな・・・」
ギクリと・・・明らかに動揺したような藤堂の表情を、加賀見は見逃さなかった。
目だけをゆっくりと藤堂に向け、低くかすれた声で問いただす。
「どうなんだ・・・藤堂・・・」
その刃物のような鋭い眼差しが、藤堂を切る・・・
「あ・・・あの・・・汀さんが・・・駅でいいって・・・
人と待ち合わせだからって・・・す・・・すいません、組長・・・」
「このっ・・・馬鹿がっっ!!」
一瞬の事だった。
突然殴られた藤堂は、訳も分からず床に転がった。
口から滴り落ちた血が・・・
高価な絨毯に染みをつくっていた・・・
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