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汀・・・
何処に行ってしまったんだ・・・
『・・・おかけになった電話は、電波の届かない場所にあるか・・・』
駄目だ・・・やっぱり繋がらない。
「榊原 和志」は何の役にも立たない携帯電話を、ベットの上に投げ出した。
おかしい・・・
もう3日も連絡が取れない・・・
今までこんな事、一度も無かったのに。
何か、事件にでも巻き込まれてしまったのか?
警察に捜索願いを出そうか?
何度も同じ事を考え、結論が出ずにまた同じ事を考えている。
もはや、和志の口をついて出るのは、溜息のみだった。
「俺って・・・こんなに汀を好きになってたんだな・・・」
自分に問い掛けるように、声に出してみる。
もちろん何処からも返事があるわけではない。
和志の声は、静寂に呑み込まれ、部屋は再びしんと静まり返った。
一人で居ると、今更ながら思い知る。
自分の中での汀の存在の大きさを・・・
何処に居るんだ・・・汀・・・
早く俺の元へ戻って来ておくれ・・・
榊原 和志には、ちょっとした秘密があった。
彼には、3歳上の兄がいるのだが、彼等兄弟の父は「神醒会」というヤクザの組長だった。
母は、ヤクザを嫌いになるような事件があった後、家を出たままそれっきり・・・
父は、母の分まで、十分に二人を可愛がってくれたらしい。
しかし、その父も、和志がまだ6歳の時に変死してしまい、
二人の兄弟は「須賀さん」という父の舎弟だった人に預けられた。
須賀さんは、それこそ自分の弟達のように二人を可愛がってくれた。
だから、和志が物心付いた頃には、須賀さんの事も、本当の兄だと思っていたぐらいだ。
始めは「二人の兄」の事が大好きだった和志。
しかし、須賀はすでに「組」の仕事をしていたし、和志とは歳も離れていたため、
やはり何処か遠い存在だったのかもしれない。
やはり、一緒に遊んで楽しいのは、3歳しか歳の違わない、実の兄の「臣人」のほうだ。
ヤクザの家に産まれた二人は、友達も少なく、和志の遊び相手はほとんど臣人しかいない。
臣人も和志の事を、思いっきり可愛がり、幼い和志にとっては世界で一番好きな人だった。
そんな関係に微妙な変化が生まれたのは、兄の臣人が思春期を迎えた頃だろうか。
大人の世界に憧れるかのように、臣人の関心は須賀の方に注がれてゆく。
父も母も、友達もいない和志少年にとって、それがどんなに辛く寂しい事だったか、
普通に育った人間には、分からない事だろう。
早く大きくなって、兄達の仲間に入りたい・・・
やがてそんな和志も、高校に入る頃には、小柄な臣人の背を追い越すほどに成長していた。
それでも、自分より高い和志の頭を、子供のように撫でる兄の臣人。
いつまでも子供扱いされるのが、和志はとても嫌だった。
しかし、臣人の本当の関心は、ますます須賀さんに集まり、
わがままを言ったり、すねたりして、たびたび須賀さんの手を煩わせていた。
須賀さんも、それを嫌がらず、臣人の言う事なら何でもきいてあげていた。
もうたくさんだ・・・
やがて和志は、そんな二人を見るのが苦痛になる。
須賀さんには、子供のように甘えているくせに、弟の前では兄貴面する臣人。
この家に、俺の居る場所は無い・・・
どうせヤクザという稼業が好きでは無かった和志は、
すっぱりと故郷を捨て、高校卒業とともに、東京へ出た。
「ヤクザの子」というしがらみが無くなった和志には、自然と沢山の友人ができた。
元々の明るく活発な性格が顔を出し、何故なのか彼の回りには人が集まるのだ。
そして、独学でコンピューター関係の知識を積み、友人達と小さいながらも会社を起こす。
借金は作ったが、それはそれで充実していた。
和志が、汀と出会ったのは、その頃だ。
今でもはっきり思い出せる・・・
あれは三年程前の、雨の日の夕方だった。
傘も持たない彼は、俺が住むマンションの前でぽつんと一人立っていた。
頭から水を被ったようにびっしょりと濡れ、寒そうに震えていた。
「行く場所がないの?」
そう、声をかけると、彼は驚いたように顔を上げた。
その顔を見て、今度は俺が驚いた。
彼は俺の良く知っている人にとても似ていたのだ。
声をかけた事を少し後悔したが、彼は黙って俺の部屋へ付いてきてしまう。
濡れた頭を乾かし・・・身に付けたのは彼には大きすぎる俺のシャツ。
いったい何処が似ていると思ったのだろう。
彼の顔を覗き込む。
おどおどしたように、目を逸らす彼。
やはり彼に似ている・・・
顔ではない・・・
何か・・・そう・・・
一人にしておけない危うさっていうのかな・・・
それは・・・
須賀さんにだけ見せる兄貴の表情。
俺には決して向けられる事の無い、兄貴の素顔。
俺は、動揺した。
見てはいけないモノを見てしまった子供のように・・・
雨が止んだら・・・追い出そう・・・
雨が止むまで・・・しばらくの間だけ・・・
それが、俺と汀の始まりだった。
雨が止んでも、俺は汀を追い出さなかった。
なぜだか・・・追い出せなかった。
そのまま、俺と汀は一緒に暮らしだしていた。
汀は、俺にとって猫みたいな奴だった。
喜怒哀楽を素直にあらわす。
たわいのない事で泣いたり・・・笑ったり・・・
そして俺のお気に入りが、すねている表情・・・
あの顔を見せられると、つい優しくしてしまう。
そう、兄貴も・・・
須賀さんの前では、とても素直に感情を出していた。
須賀さんが兄貴に優しい理由が、少しわかるような気がする。
でも、汀の感情は俺だけにむけられる。
どの表情も、俺だけに向けられるものだ。
だから、愛しい。
「愛している・・・」
初めてその言葉を囁いた時、汀は何処か哀しそうに泣いた。
その声が堪らなくて抱き締める・・・
すると汀は、すがり付くように抱き付いてきた。
嬉しい・・・と泣いた。
でも・・・応えられない・・・・と泣いた。
忘れられない人がいるんだ・・・と泣いた。
いつしか、居着いてしまった・・・気まぐれな子猫。
気がつけば、惹かれていた。
男を抱きたいと思ったのも、抱いたのも初めてだった。
ひとつになれた事を、素晴らしいと思った。
しかし・・・
俺の下で切なそうに喘ぎながら、
汀は一度だけ口を滑らせた。
な・る・ひ・さ・・・と。
「ごめんなさい・・・」
泣きながら謝る汀。
哀しそうに・・・何度も・・・
『忘れられないのなら、無理に忘れることはない。』
その言葉に、嘘など無い・・・
深く傷ついた心を、癒してあげたい・・・
『誰を愛していようと構わない。側に居てくれるだけでいい・・・』
そう・・・汀には何の罪も無いだろ?
『愛しているよ・・・汀・・・どんなに時間がかかっても、いつかお前の心を俺で満たしてみせる・・・』
いつしか愛してた・・・深く・・・
傷ついた汀の心を、俺の愛で埋め尽したい・・・どれだけ時間がかかってもかまわない・・・
そう・・・無理することは無いのだ。
誰にでも忘れられない人がいる。
俺でさえも兄さんの思い出を引き摺っていた。
だから、汀に惹かれたのかもしれない。
だけど今の俺にはもう汀しか見えていない。
愛しくて堪らない。
昔のことなど・・・
そんなに苦しい記憶など、忘れさせてやる。
俺が居る。
ずっと、側にいる。何があろうとも絶対に離さない。
こんなにも、人を愛した事はない。
自分を捨ててまでも、彼が欲しい。
彼の全てを、
彼の全てを手に入れられるのなら、何もいらない。
そう、何一ついらない。
汀の心の中には、まだ他の奴が居る。
それは知っている。
だが、このごろでは汀も、俺の気持ちに応えようとしてくれているのがわかる。
それを感じた時、俺はどれだけ幸せだと思っただろう。
やっと報われる・・・
そう思った矢先の汀の失踪・・・
何処に居るんだ・・・汀・・・
帰って来い・・・俺の元へ・・・
不意に携帯の着信音が静寂をやぶる。
物想いにふけっていた和志は、跳ね上がるようにベッドの上の携帯に飛びついた。
「汀っ!・・・汀なのかっ!!・・・」
携帯の向こうから、息を呑み込むような呼吸音が聞こえる。
「汀・・・何処に居るんだ? 何かあったのか?汀!!」
・・・汀・・・どうして黙っているんだ?
張り詰めた息を洩らすように、静かに返事があった。
少しだけ気まずそうな声。
耳になじみのある、聞きなれた声だった。
『・・・和志・・・待ち人でなくてすまない。どうもタイミングが悪かったみたいだね・・・』
「お兄ちゃん?・・・臣兄ちゃんなの?」
気が抜けた和志は、幼い頃の、親しみを込めた昔の呼び方で、兄を呼んでいた。
『そんな風に呼んでもらったの・・・久しぶりだな・・・和志・・・』
優しく響く、兄の声。
そう・・・兄は俺にはいつも優しい・・・そういうところしか見せてはくれない。
でも・・・子供のような心細さを感じている今の俺には、心配そうな兄の声が心地良く聞こえる。
『なんか、大変そうだけど・・・困った事でもあったのか?』
昔と変わらぬ、優しい声。
「実は・・・」
和志はすべてを話し出した。
何故か・・・幼い昔の時のように、素直な気持ちで・・・
何か様子がおかしいと思ったのは、かなりの事を聞かれてからだった。
和志でさえも知らないような事まで、根掘り葉掘り汀の事を聞きだそうとする臣人。
「何でそんな事まで聞くんだい?・・・兄さん。」
『ああ・・・その汀って子・・・須賀さんに頼んで捜してもらおうと思って・・・』
須賀の名を聞いて、ふっと我に帰ったようになる和志。
『今じゃあ神醒会も、押しも押されぬ大組織だからな。
安心しなよ・・・和志・・・須賀さんなら、きっと見つけてくれるよ。』
和志の中で、何かが弾ける。
「もうたくさんだっ!」
『どうした?・・・和志・・・』
「ヤクザなんて・・・社会のクズじゃないかっ!!・・・もうたくさんだって言ってるんだっ!!」
『何をいってるんだ?・・・僕はただ・・・和志が心配で・・・』
溢れ出した感情は、自分でもどうしようもないくらい激しい。
何年分もの鬱憤が、一気に吹き出して行く。
「何だよっ! いつもいつも須賀さん、須賀さんって・・・
兄貴はいつもそうだったっ! だけど俺はごめんだっ! ヤクザの世話になんかなるもんかっ!!」
電話を一方的に切ってしまう和志。
興奮のあまり荒い息をついている。
吐き捨てた言葉に、微かな後悔を感じている。
でも言った内容に嘘は無く、謝る気持ちもさらさら無かった。
彼の中に残ったのは、後味の悪さだけだった。
そのまま、どのぐらいの時間ぼんやりしていたのか・・・和志自身にもわからない。
気が付くと携帯が、メールの着信を知らせていた。
間違いない・・・
汀からだ・・・
鼓動が跳ね上がる。
携帯を持つ手が、微かに震えている。
祈るような気持ちで、表示させる。
そこには思ってもみなかった文字が並んでいた・・・
ーーーー ごめんなさい。どうか捜さないでください。ーーーー
どういう事なんだ・・・
訳が分からない・・・
慌てて汀の携帯にかけてみるが、すでに電源は切られていた。
疑惑だけが膨らんでいく。
答えてくれ・・・汀・・・
どうして・・・
いったい何が・・・
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