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「夏樹様ーっ!・・何処ですかーっ!?」
遠くで、誰かが大きな声で僕を呼んでいる・・・
僕は、重い瞼を、どうにか開けると、まだはっきりしない頭で考える。
ここは何処だろう・・・
暗いせいもあって、自分がどこに居るのか、すぐには解らなかった僕。
しかし、空に光る月と、髪を揺らす冷たい風で、ここが裏庭なのだと思い出す。
ポカポカと暖かい日差しに誘われて、外に出たのは昼過ぎの事だった。
そして、そのまま芝生の上で寝てしまったのだろう。
もうすでに、日はとっぷりと暮れてしまっていた。
「何処ですかーっ?・・・夏樹様ーっ!・・・」
心配そうな、執事の中野の声。
「中野・・・屋敷の者を全て集めろ・・・手分けして探すんだ・・・」
「かしこまりました・・・旦那様・・・」
「返事はいいから早くしろ・・・」
懐かしい声・・・
これは兄さんの声だ・・・
長い出張に行っていたはずなのに、いつ帰って来たんだろう。
「何処に居るーっ!・・・夏樹ーっ!・・・返事をしろーっ!・・・」
兄さんが、あんなに大きな声を出しているのを、初めて聞いた。
それは、いつものように怒っているようでもあり・・・
意外な事に・・・心配しているような声でもあった。
早く返事をしなきゃ・・・
(兄さん・・・)
あれ・・・声が・・・出ない・・・
あわてて身体を起こそうと思うが、冷え切った身体は、なぜか腕一本動かせない。
「夏樹ーっ!・・・何処だーっ!・・・」
(兄さん・・・ここだよ・・・兄さん・・・)
必死で叫ぼうとするが、ヒューヒューと空気の漏れるような微かな音がするだけで、
息をするのさえ、困難になってくる。
なぜ?・・・
ああ・・・そうだ・・・
僕は、そこで初めて気が付いた。
昼食の後・・・薬を飲むのを忘れていた事に・・・
大変だ・・・
どうしよう・・・
「夏樹ーっ!・・・返事をしろーっ!・・・」
兄さんの声が・・・僕を呼んでいるのに・・・
叫ぶ事も・・・身動きする事も出来ない。
やがて・・・身体が痙攣するように小刻みに震え出し・・・
視界を奪われるように、月や星の光が、すぅーと暗くなる・・・
薄れ行く意識の中で・・・
死の覚悟さえする僕・・・
(兄さん・・・もう一度だけ・・・兄さん・・・)
もう闇しか映していない瞳から・・・涙がこぼれる・・・
「夏樹っ!・・・しっかりしろっ!・・・夏樹っ!・・・」
最後に・・・
耳元で・・・
兄さんの声が聞こえたような・・・
そんな気がした・・・
「夏樹君・・・目が覚めたかな?」
ふと目を開けると、白衣の男の人が僕の顔を覗き込んでいた。
主治医の岡部先生だった。
(ああ・・・助かったんだ・・・)
童顔で優しそうな岡部先生の顔を見て、僕は心の底から安心した。
「夏樹君・・・なぜお昼に薬を飲まなかったんだい?」
「忘れてました・・・ごめんなさい・・・」
「今度から、もっと気を付けなさいね・・・もう少しで危なかったんだよ・・・」
きっと岡部先生は、これでも精一杯怒っているのだろう。
でも、もともと優しい顔をしているせいで、ちっとも怖くない。
子供や、お年寄り、それに女性から、とても人気があるのも解るような気がする。
「それから・・・お庭で居眠りなんかしては駄目ですよ・・・
風邪をひいただけでも、あなたの身体には負担になりますからね。」
「は~い。」
「ほんとにわかってるのかい・・・夏樹君・・・」
そう言って笑いながら、僕の額を指でつつく岡部先生。
「さあ、もう大丈夫だから、起き上がってごらん。
そろそろ誠司も迎えに来る頃だからね・・・」
その言葉に・・・
僕は、驚いた。
「兄さんが・・・?」
咄嗟に思ったのは・・・怒られる、って事だった。
兄さん自らがここへ来るほど、怒っているのだと・・・
「誠司とは長い付き合いだが、あんなに、取り乱した彼を見るのは初めてだったよ・・・」
岡部先生の言葉に、僕は混乱した。
そして、思わず聞き返していた。
「取り乱す?・・・」
兄さんが?・・・
なぜ僕の事で・・・
「ぐったりした君を抱いてね・・・青い顔をして飛び込んできたよ・・・あの誠司がね・・・」
知らなかった・・・
兄さんが運んでくれたなんて・・・
「私が、一目見て・・・『危ないかもしれない』って言ったら、私の胸倉を掴んで・・・
必ず助けろっ!・・・いいな・・・岡部っ!・・・』って・・・正直、怖かったね・・・」
岡部先生は、フフッと笑いながら続けた。
「だから君が元気になって、私もほっとしてるんだよ・・・」
信じられない・・・
あの兄さんが、どうしてそんなに僕の心配をしたのか・・・
わからない・・・
やがて・・・
誰かが、ドアをノックした・・・
「はい、どうぞ。」
開かれた扉の向こうには・・・兄さんが立っていた。
兄さんは、目を覚ましている僕を見て、明らかにほっとした表情を浮かべている。
そして、側に来て、何も言わずに、優しく僕の頬に手を当てた。
懐かしい・・・感触だった・・・
そして、気がついたら僕は泣いていた。
「夏樹・・・」
困ったような兄さんの声・・・
そして、兄さんは・・・昔のように僕を抱きしめてくれた。
大きな手で・・・僕の背中をあやすように撫でてくれた。
夢ではないだろうか・・・
求め続けた・・・
優しさ・・・温もり・・・
どうか夢なら覚めないで欲しい・・・
そして・・・
兄さんは、軽々と僕を抱きかかえる・・・
「さあ・・・帰ろう夏樹・・・」
僕の耳元に、優しい声・・・
病室を出て行く間際、兄さんは岡部先生に声をかけた。
「岡部・・・恩に着る・・・」
「なぁに・・・これが僕の仕事さ・・・」
次の日の朝・・・
目を覚ました時には、僕は自分の部屋に寝かされていた。
・・・夢・・・だったの?・・・
一瞬、そんな錯覚に陥る僕。
いや・・・夢なんかじゃない・・・
夕べ、兄さんに抱き上げられた時の感覚を、僕の身体がはっきりと覚えていた。
しかし、その事が夢だったのか、現実だったのか、
月日が経つにつれて、僕の中で曖昧になってきていた。
なぜなら、兄さんの僕に対する態度は、何も変わっていなかったから・・・
兄さんが優しかったのは、あの病院での夜だけだった。
次の朝からは、元の冷たい兄さんに戻っていた。
そう・・・
文字通り、あれは束の間の夢・・・
岡部先生の手前、優しさを装っていただけなのか・・・
それとも、ただの兄さんの気まぐれだったのか・・・
でも・・・僕はそれでもよかった。
だって、その夢は僕を幸せにしてくれたから・・・
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