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外科医、田所 秀一は、一冊のカルテを手に取って深く溜息をついた。
この患者が運ばれて来たのは・・・去年の暮れの事だった。
彼はナイフで刺され、大怪我をしていた。
傷はかなり深く、危機的状況だったのをよく覚えている。
奇跡的に一命を取りとめ、厳しいリハビリを乗り越え、職場復帰していった彼。
田所医師は思い出す。
そう、かれは刑事だった。
退院する時に、お世話になりましたと嬉しそうに出て行く彼の笑顔。
現場復帰できるんです、とうれしそうに語っていた。
もしも、あの時にわかっていたのなら・・・
まさか?
そんな・・・馬鹿な?
清田は医師の言葉を聞いて、愕然とした。
目の前が真っ暗になりそうになった。
嘘だ・・・
癌?・・・
俺が癌だっていうのか?
ショックを受けている清田を見て、田所医師は胸が締め付けられる思いを感じていた。
それでも、言うべき事は言わなくてはいけない。
「検査の結果では・・・他の場所へ転移している可能性が高いと思われます。
おそらく・・・手術をしても・・・何もできずに閉じるだけかと・・・」
「・・・・」
呆然と床を見つめる彼。
膝の上で握り絞めた拳が、微かに震えている。
そして、絞り出すように言葉を吐く。
「残された・・・時間は・・・どれくらい・・・なんですか?」
こんな時には田所も、医師という職業を選んだ自分を呪いたくなる。
「・・・半年・・・もって一年です。」
「・・・そうですか・・・」
長い沈黙の後、彼は顔を上げると、驚いた事にフフッと笑って見せた。
「ついてないな・・・」
田所は、心に何かが刺さったような痛みを感じた。
あんなに悲しげな笑顔を、見たことがない。
泣き叫んでくれた方が、まだ楽だっただろう。
自分は、この青年に何もしてやれないのかと、己を責める田所だった。
一度激しいショックを受けた清田は、自分でも意外なほど冷静になっていた。
死の宣告を受けたというのに・・・
どうせ、家族は居ない。
幼い頃に両親は亡くなっている。
だから、悲しませる者もいない。
冷静な彼を見て、田所は逆に切なくなる。
この患者には、悲しみをぶつけられる身内が居ない。
不安を癒してくれる家族がいない。
これから、一人で最後の日まで生きていくというのだろうか?
「先生、俺は最後まで俺らしく生きたい。仕事を続けたいんです。
もう無理だと自分自身で思えるときまで。」
「あなたさんがそう望むのなら・・・」
田所医師は、入院しなさいとは言えなかった。
手術をして、薬を飲んでも、彼の身体に巣くった病巣は
日に日に彼の身体を蝕むだけだろう。
病院で、最後を迎えるよりも、彼には外で・・・
太陽の下にいて欲しい、そう思ってしまった。
「ただし条件があります。週に最低一度は治療に通院する事。
薬をきちんと飲む事。無理をしないこと。」
「はい、わかりました。それと、先生・・・お願いがあるんですが・・・」
「何でしょう?」
田所は、自分に出来る事があるのなら何でもしてあげたい、という気持ちになっていた。
「上司とか、職場には・・・」
「その事なら心配ないですよ。清田さんに伝えるのは私の医師としてのつとめですが、
身内でもない人に病状を教える事は、医師の守秘義務に違反します。」
清田にはそれで十分だった。
先生は、きっと最後まで好きにさせてくれる。
信用出来るひとだ。
「迷惑をかけるかもしれません。すいません。勝手な事ばかり・・・」
そう、あの時も本当に身勝手な患者だった。
まだ、リハビリは無理だといっても、かってに歩く練習をしていた彼。
だが子供みたいに、上司との「約束」があるんです、と語る彼が嫌いではなかった。
確かに勝手な患者だったかもしれないが、どこか気にかかる人だった。
自分に出来る事は少ないかもしれない。
だが、してあげられることを全てしようと田所は決意していた。
延命治療は拒否されたが・・・
彼が少しでも長く輝いていられるように、力を尽くそう。