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榊は、徹夜の仕事を終え、本庁を後にするところだった。
彼も「本庁」のエリート・・・つまり「キャリア組」である。
そういう意味では、岬の同僚であり、後輩にあたる。
もっとも、二人の仲は決して良いわけではない。
キャリア同士は、ライバルであり、馴れ合いを演じる相手ではない。
この世界では、それが当たり前の事だった。
徹夜明けの眼には、朝日が眩しすぎた。
榊は、手のひらを額の所にかざし、気休めの影を造る。
すると前から、きっちりとスーツを着込んだ岬が歩いて来るのが見えた。
「おはようございます。今からですか?」
上にあたる人に非礼は出来ない。
例え、どれだけ憎らしくとも・・・
岬は無表情に答えた。
「ああ、今からだ。」
その返答と表情を見て榊は違和感を覚える。
昨日までの岬は、とても穏やかな顔をしていた。
清田と幸せに過ごしているんだからあたりまえだろう・・・
その岬の穏やかな顔を見るたびに榊の中で「嫉妬」が沸き起こった。
でも、今日は・・・
何だ?
どこか・・・?
昨日榊は、清田を見かけた。
笑顔で・・・岬と話す彼を見た。
その光景を、諦めにも似た気持ちで見ていた・・・
清田の事は、初めは気にいらない存在だった。
だが、彼を少し知るたびに、岬が少し羨ましくなっていった。
岬よりも先に、清田に出会っていたら・・・
そんなありもしない事を考えもした。
自分が、彼に惹かれている・・・
そう自覚したのは、あの時だ。
清田が刺されたと知った時・・・
目の前が・・・暗くなり、倒れそうになった。
自分の中にそれほど、激しい感情があるのを初めて知った。
だが、それを抑える事が榊には出来た。
今更、好きだと自覚したところで清田は岬しか見ていない。
自分のつけこむ・・・隙間などあの二人にはなかった。
それでも、諦きらめようと努力はしたがやはり諦められなかった。
そんな自分に呆れたが、清田が幸せそうに笑うのを遠くから見ているだけでも、
榊は幸せな気分を味う事が出来た。
見守っているだけでもいい・・・
ただ、岬の顔を見るた度に嫌味を言ってしまったが・・・
それぐらい、許されて当然だと思っていた。
また、その嫌味を岬が許してくれているのを榊は知っていた・・・
何故なら、榊の清田に対する好意を誰よりも早く、榊・・・本人よりも早く、
気がついたのは岬だったのだから。
「榊。私には誰にも譲れないものがあるんだ。」
「何が言いたいのです?」
「わかっていると思うが・・・」
ああ、負けたと思った。
岬には勝てない。
そう思った。
「念を押さなくてもいいです。そこまで馬鹿じゃないです。」
そう言うと、すまないとでも言うように岬は頭を下げたのだ。
あれは、最近の事だ。
それから幸せそうな二人を見た。
何度も・・・
なのに・・・
この人の死んだような顔は何だ?
「岬さん・・・清田と何かあったんですか?」
だが、返って来たのは・・・
「清田か。そうだな。あいつとは終わった。」
何の感情もこもっていない言葉だった。
「ああ、これを清田に渡しておいてくれ。」
そう言って岬は、榊に清田の財布を手渡す。
「何故、自分で渡さないのです?」
「もう、あいつの顔を見たくない。」
殺気すら込めて言葉を紡ぎだす。
そんな岬に、榊は返す言葉を失う。
何があったというんだ?
あの二人の間に・・・
去っていく岬の背中を、呆然と見つめながら榊は立ち尽くしていた。
胸の携帯電話の振動で、榊は我に返った。
「はい、榊。」
こんな気分の時にまた事件か・・・
しかし、榊は思いもしなかった人物からの電話に戸惑う。
『榊さんっ!』
「上田刑事か?」
何故番号を知っているんだろう?
ああ、あの時教えたのだ、と思い出す。
清田が入院した時だ。
榊は、捜査の後始末に追われ病院に行く事すら出来なかった。
だから彼女、上田直美に、容態が変わったら教えてくれと頭を下げたのだ。
彼女は、何も聞かないでそれを引き受けてくれた。
『榊さんっ!!どうしようっ!!』
彼女は激しく動揺していた。
すぐに、何かあったと感じた。
しかも、きっと清田に関してだ。
嫌な予感がした。
『清田君が血を・・・』
頭がくらっとした。
「今何処だ?」
直美は住所を言う。
何故、清田が・・・?
上田刑事の自宅に?
榊は、携帯を切ると走り出していた。
自分の知らない所で何かがあった。
何が?
榊がそれを知る術は今はなく、出来る事は一秒でも早く、
清田のもとへ向かう事だけだった。
着くまでの時間が、とてもとても長く感じられた。
だが、実際は15分程度だったのかもしれない。
扉を開けた榊が目にしたのは・・・
血を吐く清田と・・・
真っ赤に染まった直美の姿だった。
愕然とし、怒鳴った。
「何故救急車を呼ばないっっ!!」
その声に直美も怒鳴り返す。
「嫌だって言うんだものっっ!!清田君がっっ!!」
「じゃあっ!・・・何故、岬さんを・・・」
そこまで言いかけた榊だが、先ほどの岬の仮面のような顔を思い出す。
言葉を濁した榊を遮って、直美は叫ぶ。
「岬さんは嫌だって・・・だから榊さんを呼んだんでしょっっ!!」
清田は、苦しそうに吐血を繰り返す。
部屋中に血の匂いが立ち込める。
「とにかく、病院に・・・」
二人はやっと冷静になる。
榊は、岬からあずかった清田の財布を思い出し、中身を確認する。
出てきたのは、一枚の診察券。
担当医の名前もあった。
外科医「田所秀一」と書いてある。
そこへ、電話をした榊は、清田が吐血した事、今居る場所を簡潔に伝えた。
『すぐに行くので、彼を看ていてください。』
電話の向こうで田所医師がそう言うのを聞いて榊は電話を切った。
苦しそうに吐血を繰り返す背中を、榊と直美は交互にさすっていた。
そして、直美はぽつりと話し出す。
「昨日、雨の中で清田君倒れてた。意識が朦朧としていたの。
だから、救急車を呼ぼうとしたら嫌がって、それじゃあ岬さんにって言ったら・・・
もっと、嫌がったの。」
「そうか・・・」
榊は、直美を責める気持ちになれなかった。
もしも、自分が直美の立場であってもきっと、清田の嫌がることはしないだろう。
田所医師と看護婦が到着して、部屋の中を慌ただしく動きはじめる。
しばらくして、やっと清田は薬のおかげで眠りについた。
しかし榊は、救急車が来るものと思っていた。
だから・・・
手当てを終えて、安心した顔を浮かべている田所に詰め寄る。
「先生、いったいどうして?」
その榊の言葉には、全ての疑問がこめられている。
田所は、榊と直美の顔を見て決意した。
守秘義務に反することは承知のうえで・・・
「清田さんを支えることが、あなたがたに出来ますか?」
榊と直美は即答する。
「出来ます。」
「これは、清田さんの希望に反しますが・・・」
田所は語り始める。
清田の残された命はもうあとわずかだということ、持って3ヶ月だろうと。
しかし彼は、入院して延命治療をするよりは仕事を続けたい、外の世界にいたいと考えていると・・・
「清田さんには、家族がいません。最後まで彼を看ていられますか?」
返答次第では、強制的に入院させるつもりで田所は聞く。
彼に少しでも長く生きて欲しかったから・・・
「医者」としてではなく・・・
清田という人間に出会った・・・一人の「人」として・・・
榊と直美は視線を合わせる。
出来るか?
出来る。
田所の話は、到底受け入れられるようなものではない。
清田が死ぬなんて考えたくなかった。
でも、それが避けることができない現実ならば・・・
「私達が、彼を・・・看ます。」
田所医師は、念を押すように更に強い決断を迫る。
「人」としての決断を・・・
「あなた達・・・中途半端な気持ちならやめておきなさい。
清田さんは、奇麗で楽な死に方は出来ないだろう。
本当に最後まで見ていられるのですか?
耐え難い痛みに、もがき苦しむ彼を・・・
日に日に衰弱し死んでゆく彼を・・・
最後の瞬間まで、目に焼き付けておく勇気が、本当にありますか?」
互いの瞳を見て、直美と榊は思った。
( 一人では耐えられないかもしれない。)
でも
彼となら・・・
彼女となら・・・
「出来ます。」
田所は、安心したように微笑むと言った。
「私も出来る限り、彼の痛みを和らげるように考えます。」
「お願いします・・・先生。」
田所は安心した。
一人で死んで逝く事を彼が望んだとしても、
自分の気持ちとしては、誰かに見届けてもらう道を選択したかった。
ふと、田所は思う。
彼が?
彼女が?
清田の話していた「岬」なのだろうか?
「岬さんとは?」
田所の言葉を聞き、二人は苦しそうな表情を浮かべる。
ああ、そうかと思う。
清田と岬との間に何かがあったのだろう。
先週の通院まで清田は幸せそうに笑っていた。
恋をしているのだと彼は言っていた。
最後の恋だと。
綺麗な笑顔で・・・
きっと、彼は自らの手でその恋を終わらせたのだろう。
田所はそう思った。
「何かあれば、時間など気にしないで電話を下さい。」
田所は二人に自宅と、携帯の番号を教える。
二人もまた同じように教える。
3人は視線を交わしあい、確認する。
それは、共犯者の確認でもあった。
そう、田所もはじめて会った時から清田に惹かれていたのだった。