[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
汀という青年の身体が小刻みに震えだす。
暖房はすでに全開だ。
軽く汗ばむほど暖かいはずなのに・・・
青年の額に手を当てる加賀見。
まずいな・・・
熱が出てきたのは間違いなかった。
急げ・・・
加賀見は、青年の裸身にこびり付いている、体液や泥を拭き取り始める。
熱い湯に浸したタオルを、固く絞って、優しく丹念に拭いてゆく。
触られると痛いのだろう。
嫌がるように首を振る青年。
加賀見は、苦痛を与えぬよう、細心の注意を払いながら作業を続ける。
「・・・やめ・・・て・・・成久っ・・・」
嫌がるのは、痛さのせいだけでは無いようだった。
触れられる事、そのものを嫌がっていた。
「・・・こんなの・・・いや・・・だ・・・」
触れたところを避けるように身体が逃げる。
夢の中でも、陵辱が繰り返されているのだろうか。
「もう大丈夫だ・・・」
そう言いながら手を握ってやる。
「安心するんだ・・・」
言葉をかける。
青年は何も反応を返さず、ただ哀しそうに涙を流すだけだった。
ようやく身体を拭きおわり、傷の応急手当てを済ませると、
空いている寝室に運んで、毛布で何重にもくるむ。
どうやら震えは治まってきているようだ。
成久・・・
たしか成久だった・・・
数時間前、アクアから、この汀という青年を連れ出した男の顔を思い出す。
三年前と、幾分雰囲気は違っているが、あの時の男と同一人物だろう。
加賀見は、ベッドサイドのソファーに座り、こんこんと眠り続ける青年の姿を見つめていた。
「う・・・ん・・・・」
寝苦しそうに息をする声・・・
加賀見は慣れない手つきで、そっと青年の額にかかる髪をかきあげる。
そして、苦しそうな彼の表情を見ながら、
自分の行動を、どう自分に納得させるか、思案してみる。
どうしても適当な理由がみつからない。
みつからないまま、青年の顔をじっと見つめていた。
夜が明けるまで・・・
覚醒は、緩やかに訪れた。
もう少し寝ていたい・・・
長い夢を見ていた。
どんな夢かは、はっきり覚えていない。
まどろみの中で一瞬思う。
夢で良かった・・・
しかし、心に刺さったままの、不安や恐怖。
本当に夢だったのか・・・
恐る恐る目を開けてみる。
高い天井が見えた。
見慣れたあの人の部屋ではない。
ガバッと起き上がろうとする汀。
痛っ!・・・
夢なんかじゃなかった・・・
身体に走る痛みによって、更に痛い現実を思い出す。
あれから・・・僕は・・・
慌てて部屋を見回す汀。
ここは何処だろう・・・
見た事もないような、大きなベットの上に居た。
さらっとした清潔なシーツ・・・
肌触りの良い毛布・・・
ルームライトの、柔らかい光に照らし出された広い部屋は、二十畳ほどもあるだろうか。
イタリア製と思われる高価そうな家具と調度品が並び、床には分厚い絨毯が敷き詰められている。
どこか違和感を覚えるのは、生活感が感じられないからだろうか。
人が、そこで生活を営んでいる雰囲気が希薄なのだ。
例えるなら、豪華なホテルのスウィートルームといった感じだろう。
ベットの直ぐ側には、床から天井までとどく大きな窓があり、
そのカーテンの隙間の向こうには、遠くまで続く夜景が広がっている。
今は夜なのか?
いったいここは?
慎重に記憶をたどる汀。
必死で走っていたところまでは、覚えている。
しかし、その後の事は・・・
よく見ると、パジャマに着替えさせられている。
軽く肌を滑るその感触は、シルクのものだ。
成久が残した陵辱の跡も、奇麗に拭き取られているようだ。
いったい誰が?
ドアの向こうから誰かの話し声が近づいて来る。
電話をかけているのだろう。
一人だけの声しか聞こえない。
『・・・・・・いいか、二度繰り返して言わせるな。調べろ。』
恐怖で身体がこわばる。
違う成久の声じゃない・・・
だけどどこかで、聞いたことのある声だ。
低くかすれた・・・特徴的な声・・・
何処か懐かしく、哀しい想い出とリンクしている・・・
部屋のドアが開き、その声の主が入ってきた。
あっ・・・
思わず声を上げそうになる。
がっしりとした、長身・・・
隙の無い身のこなし・・・
アクアで見かけた、エゴイストの香りの男だ。
「目が覚めたようだな?」
男が尋ねる。
「ここは・・・何処ですか?」
不安そうに口を開く汀。
「俺のマンションの客間だが・・・」
「・・・なぜ?・・・なぜあなたの家に・・・」
加賀見は、両手を広げて、肩をすくめて見せる。
「ウチの前に倒れていたから・・・拾ったんだ。
もちろん警察にも届けてはいない・・・あまり仲良くないんでね・・・」
まだ状況がよく呑み込めない汀に、加賀見が続ける。
「取りあえずシャワーを浴びてきなさい。高熱を出して一昼夜眠っていたんだ。
一応、身体はきれいに拭いておいたんだが・・・」
驚いたように汀が口を挟む。
「あ・・・あなたが・・・拭いてくれたんですか?」
「そうだが?・・・」
そっけなく答える加賀見。
「心配するな・・・何もしてやしない・・・」
見る見るうちに赤面してうつむく汀。
「す・・・すいませんでした・・・」
「気にするな・・・それより浴室に案内しよう。」
痛む身体を引き摺るようにベッドから降りる汀。
高熱で体力を失ったのだろうか、足元がふらつき転びそうになる。
あっ・・・
思うよりも早く、とっさに加賀見が抱き止める。
「すっ・・・すいませんっ!」
「大丈夫か・・・」
その瞬間に、汀ははっきりと思い出していた。
この声・・・
この香り・・・
この胸の固さ・・・
ああ・・・あの時の人・・・
何という偶然・・・僕は、またこの人に助けられたんだ・・・
加賀見の腕の中で、ひと時の安心感に包まれる汀だった。
丹念に身体を洗い、用意された新しいパジャマを身に付ける。
加賀見と名乗ったあの人は、自分の寝室へ行ってしまったらしい。
暗い面持ちで長い廊下を歩き、先程の部屋に入る。
ベッドサイドには、コートのポケットに入れていた、財布と携帯電話が置かれている。
ソファの上には、クリーニングされた汀の衣類が、ビニール袋に入ったまま置かれていた。
シャツはさすがに使い物にならなかったらしい。
一人だ・・・
情けないほど心細くなる。
寝なければいけないと、ベッドにもぐり込み、ギュッと目を閉じる。
追いかけてくる。
成久が、恐い顔で・・・
逃げても逃げても、追いつかれそうになる。
これは、夢だ。
いや、現実だ。
僕は、汚れた。
裏切ってしまった。
あの人に会う事はもう許されない。
どうして・・・
どうしてこんな事に・・・
何度も、何度も問い掛ける。
誰のせいでもない。
自分のせいだ。
ああ・・・嫌だ。
僕は、感じて無い・・・
感じたくは無かった・・・
それなのに・・・
巧みに追い詰められ・・・
屈辱の証を絞り取られた。
嘘だ・・・
嘘だと思いたい。
そんなはずがない。
これは、夢だ。
現実じゃない。
いいや、本当だ。
聞こえるんだ。
声が・・・僕を嘲笑う成久の声が・・・
好きだったのに・・・
好きだった?
僕は成久が好きだったのか?
本当に?
今ではとても信じられない。
僕が好きだったのは幻だ。
過ぎ去った過去の幻影だ。
今では痛いほどわかる。
本当に好きなのは「あの人」だったんだと・・・
でも・・・
もう遅い・・・
あの人に会いたい。
あの人にはもう会えない。
重なる声。
声。
幻聴。
闇だ、真っ暗だ。
ここに閉じ込められるんだ。
嫌だ。嫌だ。
誰か、僕を助けて・・・
こんな状態で眠れるわけもなく、ベッドの上に身を起こす汀。
あまりに寂しくて、テレビのスイッチを入れる。
暗い部屋の中で、ブラウン管の明かりがとても眩しく感じる。
深夜放送の笑い声が、どこか遠くの世界の事のように耳を通り抜けてゆく。
そんなに長く眠っていたとは・・・
もう二晩も帰ってないし、連絡さえ入れていない。
あの人は、きっと心配しているだろう。
ベッドサイドの携帯電話を手にとる汀。
成久と会う直前から、電源を切ったままにしていた。
ツーーと音がして、液晶が鈍く輝く。
メールが10件ほど溜まっていた。
あの人からだ・・・
優しい言葉で、
とても心配している。
会いたい・・・
声だけでも聞きたい。
でも・・・
それは出来なかった。
いったい何て言うんだ?
汀は、短いメールを一通、打ち込んでゆく。
涙で文字がにじむ。
送信が終わると、電源を再び落とす汀。
もう・・・
会わない・・・
枕に顔をうずめ、声を殺して泣いた。
いつまでも・・・
Copyright(C)2002-2009 tukiya All Rights Reserved.